60年安保、1962年(昭和37年)のキューバ危機と国内外は「東西冷戦」の真っただ中。
昭和37年「世界調和と人類の繁栄」の構築を目的に日本会は発足し、初代総裁に佐藤榮作氏が就任しました。昭和47年に内閣総理大臣を退任するまで、7年8か月間、冷戦後の国際社会を見据え、「世界平和と人類の繁栄」のために東奔西走されました。国内においても昭和47年沖縄返還を成し遂げ、同年総理大臣を退任。昭和49年ノーベル平和賞を受賞し、翌昭和50年6月3日他界。享年74歳。まさに命をかけて冷戦後の世界を見据えた、昭和の名宰相といえるでしょう。
「世界調和と人類の繁栄」昭和37年の日本会創設以来の「総調和」の精神は、半世紀を経過した現在も色褪せることなく今日も輝き、その処方箋は今も変わることなく生き続けております。今日世界中に起こっている民族の対立、政治的な対立、貧困問題等人類の課題について、佐藤榮作氏はどういう処方箋を出すでしょうか…。
「国際社会の平和と安定についてどうかかわってゆくのか、君たち一人ひとりが考え、行動し、国際社会でいかに“歴史と信頼”を構築してゆくのかだよ」笑いながらさらりと語っている姿が見えてきます。